所長紹介

はじめまして、スノーボーダーのマック古本です。

今から25年位前にスノーボードをはじめました。最初からはまりにはまり、当時関東地方に住んでいてゲレンデまで短時間で行けたため、1年間に2,30回山に行って滑走してました。近年はあまり行っていないので、行きたくて行きたくてうずうずしています。。

あ、間違えました、ギタリストのゲイリー古本です。

なぜ、ゲイリーかって?最近、ゲイリームーア、正しくはコージーパウエルのアルバムに入っていた、ゲイリームーアがギター弾いている「dartmoore」を練習していて、ゲイリーマイブームが再燃しているからなんです。

こちら デグーの「大吉くん」です。ハムスターと同じ齧歯類ですが、ネズミというよりモルモットやチンチラに近く、3歳児の知能をもつと言われ道具を使って餌をとったりするくらい賢く、また寿命も7、8年と結構ながいきです。大きさは片手にのるくらいです。

 子供の頃は、オタクでしたね、日曜日とか休みの日は朝から晩までプラモデルとからラジオを作り続けるとか、学校行って写生会などがあると一番最後まで居残って絵を描き続けるという。家でモーリスルブランでしたか、が作者の「怪盗ルパン」シリーズなどの本を読んだりする方が、外で遊ぶよりも好きでした。

 高校までは理系でしたが、神戸大の工学部現役で受けて落ちて、そこから文系に。で勉強せずバンド活動って大袈裟なものではないですが、ギター弾いたりバイトしたりして1年浪人して大阪外大うけたが通らず、2年目浪人しましたが、なんとか予備校の特待生に受かって1日10時間位勉強したおかげか、カーネギーなどの成功哲学の本を読みまくったおかげか、大阪外大の英語学科に合格しました。で、お決まりの阿呆な大学生活を楽しみ、あまり深い考えもなく銀行に就職。

 大学の頃、貿易英語をかじったので外国為替の部門は面白かったですね。東京のJR新宿東口のアルタ裏にある支店(今はヤマダ電機だったかな。。)であったこともあって、外国人が窓口訪れて対応したり、芸能人多く見かけたりして。そんな銀行の悪友?が某予備校の理事長の息子だったので、その後銀行やめて、英語の講師をしました。そこは高校受験と英検を合格させるところで、面白かったのですが、大学受験合格をさせることに興味がでてきたので、関東では有名な〇〇ゼミナールというところに移り、主に高校2年生を教えてました。

 私、最近ある占いで「旅人」ってでたんですね。そう、一つのところにとどまっているのが窮屈なのか、仕事も家も自動車も、、、もよく変えるんですよね、気軽に。

 それでも10年位講師職やってたのかな、そろそろ受験英語教えるのに飽きてきました。そこで何か面白いことないかな~ということで、資格をとろう!と思ったわけです。税理士、弁護士、中小企業診断士、、、色々あるな~と思ったのですが、最終、社会保険労務士というのが面白そうだなということで社労士を目指すことにしました。その後、通勤の時骨折したときに労災使って、労災の給付最高!という経験もして、さらにやる気になり2003年に合格しました。

 そしてそれから社労士しています!ではなくて、社労士って社会保険扱うけど、保険っていうと生命保険も保険だなと思い、なぜかここで生命保険会社に就職します。1年位某生命保険会社で働いているときに生命保険、損害保険を2,30社扱っている乗合生損保代理店の部長と仲良くなり、そのご縁でその会社で複数の保険会社の保険を販売することになります。また1年位したときに当時の社長から管理職やってみないかということで営業部長として勤務することになりました。

 それから数年後、その会社が倒産することになり、その前に社長から大阪の営業部を廃止するということを聞かされて、すぐに部下20名位の引き受け先を探すために奔走し、その会あって、当時時代の流れにのっていた某乗合代理店〇〇の窓口の子会社の訪問型乗合代理店の大阪営業部に部下十数人とともに移籍。リクルートに精を出して気づけば50人を超える優秀な営業がいる部になりました。ここでも日々面白く仕事をしていたのですが、5年位して当時の社長が退職し、別の代理店の社長になっていて、自分もそちらの代理店に行くことにしました。そこは保険会社45社ほど扱うことに加え、銀行の子会社であったことから、お客様にワンストップで様々な要望に応えることができると思い、こちらでもまた、リクルート活動を頑張りました。

 しかし、1年くらいさっぱりリクルートできませんでした。そう、自分の力を過信していたんですね、前の会社でリクルート成功したのは時代が乗合代理店を求めていて伸びている会社だったからなんですね。私が転職した2015年は、その伸びがとまってしまっており、そして他社よりも良い条件ということで競争できることにも限界がきていたのかなと後になって思いました。そんな時、一人の恩人と出会いました。リクルートで悩んでいた時に、彼とコミュニケーションよくしていると、また新たな出会いがあり、一人二人とリクルートができるようになって約1年位経った時には30人を超える部署になっていました。

 前の代理店からそうだったのですが、特に「終活」に力を入れていて、相続などに関しても色々と活動していました。某お寺ともつながりをもちながら、終活の一般社団を立ち上げたりもしました。しかしあることがきっかけで、2018年その恩人が会社を去ることになったこと、そして管理職をしばらく離れたくなったこともあり退社し、その時の9月に社会保険労務士として開業しました。開業をし、しばらくは助成金の案件で営業をしていたのですが、やはり実務経験がなくこれはまずいなと思い始めました。仕事とってきてもどうやってよいかわからない。。。って状態でした。

 そこで2019年の4月から某労働基準監督署で非常勤ですがフルタイムで勤務しはじめました。労災労働保険専門員という、労働者が労災にあった時に申請書を審査する係です。労災の状況を判断する、って一言でいうと簡単ですが、どういう状況で労災に至ったのかを調査するわけです、会社や病院から情報を得て、そして専門書とにらめっこしながら、労災給付をだしていいのかどうかを判断し稟議書を書く仕事です。一般職員の方と同じく(って同じレベルでは到底ないので毎日必死です。。)審査するのですが、労働保険番号で3000社分、2年目は5000社(といってもなくなっている会社もあるので実際はそれより少ないですが)を担当していたので、毎月何十件という労災を処理しました。休業したときの給付のために平均賃金(給付基礎日額)を求めるのですが、これもまたマニアックな方法を色々知りました。ま、社労士としてはそこまでいらない(といってはいけませんが)レベルに短期間でなった気がします。

 そんな2年目2020年コロナ真っ最中の4月からは某社労士事務所のお手伝いもさせてもらって実務経験をさらに積んでいます。具体的には助成金と給与計算業務です。朝早くから夜遅くまで結構頑張っていました。そんな忙しい生活送って2か月ほど経った6月に、某所から連絡がありました。終活(相続)やってたし保険代理店で営業部長、支社長やっていた経験があるんだったらうちでマネージャー探しているのでやってもらえないかということでした。労働基準監督署に勤務していましたが、社労士開業していたので、開業したままでもよさそうだったのと、ちょうど、社労士としては十分な労災の知識経験が身に付いたこともあり、9月からそちらでもう一度管理職として勤務することになりました。

 現在はB社で営業部長をしながら社労士業兼業でとても楽しく仕事をしています。

 営業部のみんなが元気で明るくチームワークよく働いてくれているのでとても良い雰囲気です。やはり理念をしっかりと持ち、コミュニケーションよく風通しよく一致団結して働くことが大切だなと身に染みて感じています。

 社労士事務所としては、オンライン申請等もできますので土日平日夜以降と業務に取組んでおります。こちらも一緒に歩んでくれる仲間がたくさんできつつあります。お互いやれることをやる、これからは複数の業務をしていく時代ということもあり、毎日希望一杯夢いっぱいで活動しています。コミュニケーションを大切にと思っていますが、言葉足らずで迷惑かけたり誤解されることもありますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

タイトルとURLをコピーしました